熊野神社御由緒

 夫れ当社は、旧別当寺古文書によれば、今よりおよそ一千二百年前弘仁年間、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりです。爾来、御神威は赫奕と輝き、神社の歴史は連綿と続き、関東鎮護の社として関東一円の信仰を集めて現在に至っています。

徳川家康公は、江戸入国の折当社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を御祈念いたしました。

江戸幕府作成の「東海道分間延絵図」には熊野権現として画かれ、同じく幕府作成の「新編武蔵風土記」には熊野宮として記載されています。

江戸時代初期には、鶴見川西方に位置しその後、妙高企業(神奈川県横浜市鶴見区元宮町)付近に位置したので、現在、このあたり地名を元宮といいます。天保年間には、JR線(東海道線)踏み切り付近に位置しました。
明治3年3月、新橋横浜間に日本で初めての鉄道敷設が決まり、5月には鶴見市場付近の測量が始まりましたが、生憎、境内地と敷設線路が交差することになり、同年の秋、現在地に遷座いたしました。

社殿は江戸時代より、川崎市平間に代々続く宮大工の名門渡辺家(屋号:銚子塚)により造営されています。

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